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大阪地方裁判所 昭和38年(ヨ)600号 判決

申請人 下江秀夫

被申請人 学校法人近畿大学

主文

被申請人は申請人に対し昭和三八年三月一九日以降一ケ月金四〇、〇二〇円の割合による金員を毎月末日限り支払わなければならない。

申請人のその余の申請を却下する。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者の求める裁判

申請代理人等は、「被申請人は申請人に対し昭和三七年七月一日以降一ケ月金四〇、〇二〇円の割合による金員を毎月末日限り支払わなければならない。」との裁判を求め、被申請代理人等は、「本件申請を却下する。訴訟費用は申請人の負担とする。」との裁判を求めた。

第二、申請人の主張事実

一、申請人は、昭和四年七月京都大学工学部機械工学科を卒業し、阪神電鉄、華北交通、満洲工作株式会社、中華民国(東北長官技術顧問)、水野造船株式会社等に勤務したあと、昭和二六年一月一日被申請人の理工学部機械工学科の非常勤講師として採用され、昭和二七年四月一日より専任講師として勤務していたものであるが、昭和三〇年六月一八日頃被申請人から解雇の通告をうけ、被申請人を相手取り大阪地方裁判所に地位保全及び賃金支払請求の仮処分を申請し、当庁昭和三一年(ヨ)第二四二九号仮処分申請事件として審理をうけた結果、昭和三三年八月一一日当裁判所で、「被申請人は、申請人を被申請人大学理工学部機械工学科の専任講師として取扱い、且つ申請人に対し金一五三、六六六円及び昭和三一年一〇月一日以降一ケ月金一七、五〇〇円の割合による金員を毎月末日限り支払わなければならない。訴訟費用は被申請人の負担とする。」との判決を得た。

二、被申請人は、被申請人に勤務する全教職員に適用される給与規定を昭和三四年一月以降実施し、昭和三七年六月それを大巾に改正して現在に至つているが、右給与規定による昭和三七年七月以降の申請人の給与は次のとおり一ケ月金五七、五二〇円である。

(1)  昭和三四年一月施行の給与規定は、年令給、学歴給、経歴給、職務給及び勤続手当により構成されており、それによれば当時、申請人は一ケ月年令給一五、九〇〇円、学歴給三、五〇〇円、経歴二四年一一、三五月で経歴給一四、二〇〇円、職務給二、〇〇〇円、勤続八年で勤続手当一、五〇〇円であるべきところ、右給与規定の附則が昇給額の限度を八、〇〇〇円としていたため、申請人の当時の給与額は、従前の給与一七、五〇〇円に八、〇〇〇円を加算した一ケ月金二五、五〇〇円となる。

(2)  右給与規定により、昭和三四年一月から一年余を経過した昭和三五年四月では、定期昇給として年令給一〇〇円、職務給四〇〇円、勤続手当三〇〇円がそれぞれ加増されることになり、当時の申請人の給与額は一ケ月金二六、三〇〇円となる。

(3)  右給与規定により、同様の計算で、昭和三六年四月の申請人の給与額は金二七、一〇〇円になるところ、被申請人は同年四月以降被申請人の教職員全員に一率二〇パーセントを昇給させたので、申請人の当時の給与額は一ケ月金三二、五二〇円となる。

(4)  昭和三七年六月の給与規定改正では、給与が職務給一本に統一され、経歴年数その他算出基準を同年四月一日現在とし、昇給額は二〇、〇〇〇円を限度とするが、昭和三四年一月施行の給与規定で頭打の規制をうけた者に限り、二五、〇〇〇円を昇給額の限度とした。右改正給与規定によれば、助教授、講師の給与は教員給二級として一ケ月一号俸二二、〇〇〇円から三七号俸七三、〇〇〇円まで細分され、経歴年数換算方法は従来と同様であるが、これに加え、新たに無職期間も三〇パーセント経歴年数に評価されることになつた。

申請人の経歴年数は、昭和三四年一月までで前記のとおり二四年一一、三五月であり、その後昭和三七年四月までの三年三月と、以前の無職期間一一月の三〇パーセント三、三月を加算し、合計二八年五、五五月となるので、昭和三七年七月以降右改正給与規定による申請人の給与は、教員二級の経歴年数二八年で二七号俸六七、七七〇円となるべきところ、前記二五、〇〇〇円の昇給制度があるため、従前の給与三二、五二〇円に二五、〇〇〇円を加算した一ケ月金五七、五二〇円である。

三、被申請人は、前記仮処分判決後も、申請人を被申請人の理工学部機械工学科の専任講師として取扱うことをせず、申請人の労務の受領を拒否しており、右のように、昭和三七年七月以降申請人の給与が一ケ月金五七、五二〇円となつてからも、申請人に対し、右仮処分判決主文記載の一ケ月金一七、五〇〇円の金員だけしか支払わない。

四、申請人は、右仮処分判決により、昭和三三年八月一時金として金五五〇、〇〇〇円程度の収入を得たが、この金員は解雇後右判決を得るまでの借財の返済、判決後の生活費等に充当して昭和三四年末までに費消し、昭和三五年以降は右判決によつて毎月末被申請人から支給される一六、五〇〇円(一七、五〇〇円のうち、一、〇〇〇円は健康保険掛金として徴収される。)を唯一の経常的収入とし、それに月々高額な借金をして苦しい生計を維持してきた。

申請人の月当り必要な生活費の概算は、居住費(家具調度品を含む)一〇、〇〇〇円、飲食代一〇、〇〇〇円乃至一五、〇〇〇円、交通費三、〇〇〇円、光熱費三、〇〇〇円、文化費二、〇〇〇円、研究費(専門の機械工学に関する書籍代を含む)一五、〇〇〇円で合計四五、〇〇〇円乃至五〇、〇〇〇円である。

申請人の家族は、申請人とその子秀之の二人だけであるが、秀之は現在二四才で、京都大学医学部本科三回生(昭和四一年三月卒業予定)に在学中であり、勉学の必要上申請人とは別居し、一ケ月食事代一〇、〇〇〇円、部屋代三、三〇〇円、交通費七〇〇円、学費書籍代六、〇〇〇円、日用品二、〇〇〇円、合計二二、〇〇〇円程度の出費を必要とする。

右のように、申請人父子は月々少くとも六乃至七〇、〇〇〇円程度の経費を必要とするところ、申請人父子の月当りの収入は、前記仮処分判決による申請人の給与一六、五〇〇円と、秀之の奨学金三、〇〇〇円及び秀之のアルバイトによる五、〇〇〇円の収入だけであり、その合計と右必要費との差額は申請人が友人や亡妻の母申請外小島咲から月々借財をしてまかなつている。

申請人は、解雇後一時国立滋賀大学の講師をしていたこともあつたが、現在は年令六四才で、老令と病気(動脈硬化、高血圧症等)のため、他に勤めをしておらず、右仮処分判決による収入以外に稼働による収入はない。

他方、右仮処分判決の本案訴訟は、まだ第一審裁判所に係属中である。

五、よつて、申請人は被申請人に対し、昭和三七年七月一日以降毎月末日限り、前記給与額金五七、五二〇円から前記仮処分判決の給付金額一七、五〇〇円を控除した金四〇、〇二〇円の支払を求めるため、本件仮処分申請に及んだ。

第三、被申請人の答弁

一、申請人が解雇の効力を争い、被申請人との間で申請人主張のような地位保全等の仮処分判決を得たこと、及び申請人の昭和三七年七月一日現在の給与額が一ケ月金五七、五二〇円(但し、それから共済組合掛金三、六五八円と所得税三、六六〇円の合計七、三一八円が控除される。)であることは認める。

二、仮処分の必要性に関する申請人の主張事実はすべて争う。

(1)  申請人の家族関係、家族の年令、地位等が申請人主張のとおりであることは争わないが、申請人の一ケ月の必要経費が四五、〇〇〇円乃至五〇、〇〇〇円である旨の主張事実、申請人の子秀之の一ケ月の必要経費が概算二二、〇〇〇円である旨の主張事実はいずれも否認する。

(2)  申請人が被申請人に在勤した当時の学内における研究態度からして、申請人が毎月一五、〇〇〇円もの研究費を費消していることはあり得ず、又申請人は現在間借り生活をしているもので、その主張のような高額な居住費を支出している事実はない。食費、光熱費等についても、総理府統計局調査にかかる昭和三九年一〇月分家計調査報告(乙第一号証)によれば、京都市における四人以上の家族の一ケ月に要する食費が二一、四四五円、光熱費が二、六六六円であることから明らかなように、申請人主張の金額は、日本人の一般的生活水準を遙かに超える不合理なものであり、その求める金額に辻褄を合せるために創作せられたものに過ぎない。

(3) 申請人の子秀之に要する経費については、申請人主張の金額が現在の大学生が一般的に支出している平均学費を遙かに超えるものであるばかりでなく、親の子に対する扶養義務としては、子の大学教育に要する費用までも当然に親が負担すべきであるとはいえないから、申請人が右秀之の学資を本件仮処分を求める必要性の一として主張するのは全く理由がない。

(4) 私立大学教員の給与の一般的水準については、昭和三七年に日本学術会議が行なつた調査報告(乙第二号証)が存し、これによれば当時私立大学講師の(イ)、大学院を有する大学(被申請人もこれに含まれる。)において平均年令による平均給与は、三五才で一ケ月金三五、八〇〇円、(ロ)、学部別、年令別の平均給与は、工学部においては、四〇才で一ケ月金四五、七〇〇円、(ハ)、規模別、年令別による平均給与は、学生二、〇〇〇人以上を擁する大学(被申請人もこれに含まれる。)においては、四〇才で三二、〇〇〇円である。

従つて、右のような私立大学講師の給与水準及び前記家計調査報告等の資料からすれば、本件の生活計費等に関する申請人の主張は著しく失当である。

第四、疏明〈省略〉

理由

一、申請人が被申請人からうけた解雇の効力を争い、申請人主張のような地位保全等の仮処分判決を得たこと、及び申請人の被申請人からうけるべき昭和三七年七月一日現在の給与額が一ケ月金五七、五二〇円であることはいずれも当事者間に争いがない。

右事実によれば、右仮処分判決によつて、被申請人の申請人に対する解雇は一応無効と判断され、申請人は被申請人大学の理工学部の講師としての仮りの地位を設定されており、又申請人が被申請人からうけるべき給与の額は昭和三七年七月以降月額五七、五二〇円であるから、被申請人がその後も申請人の就労を拒否し、そのために申請人が就労できないのであれば、民法第五三六条第二項により申請人は被申請人から右給与の支払をうける権利を失わない。

二、被申請人が、前記仮処分判決後も申請人を被申請人大学理工学部の専任講師として取扱わず、昭和三七年七月申請人の給与が月額金五七、五二〇円となつて以降も、右仮処分判決による一ケ月金一七、五〇〇円だけしか支払つていないことは、弁論の全趣旨並びに申請人本人尋問の結果によりこれを認めることができる。

申請人は、本件仮処分を求める必要性として、申請人と申請人が扶養すべき大学生である子との家族二人の生活費、子の学費、申請人の研究費等で少くとも一ケ月六乃至七〇、〇〇〇円程度の経費を必要とする旨主張し、被申請人は、申請人主張の生活費が日本人の平均的生活水準を遙かに超えていること、子の大学教育のための学資の支出は申請人の扶養義務に属さないこと、又申請人自身の研究費もこれを支出している事実がないこと等仮処分の必要性がない旨、申請人の主張を抗争するので、検討するに、およそ給与により生計を維持していた者が、不当に給与の支払をうけられなくなつた場合、資産や別途収入がある等特別の事情がある場合を除き、その者が生活上著しい損害を被ることは明らかである。

しかも右損害を避けるための仮処分の必要性は、一般標準的な基準だけによつて抽象的に判断することなく、申請人自身の社会的地位、うけるべき給与の額、家族の現状等の具体的事情を綜合し、申請人に即して決定しなければならないと解する。

ところで、申請人本人尋問の結果によると、申請人は、別に資産や経常的な別途収入の途がなく、被申請人からうける賃金を生活の唯一の資として、今は大学の医学部に在学中の子と父子二人の生活を支えてきたものであること、現在申請人は、病弱で他に職を求めることなく、前記仮処分判決によつて被申請人からうけている月々一六、五〇〇円の金員とそれで不足する分を申請人の友人や亡妻の母等からその時々に借財する等してまかない、苦しい生活を続けていること。申請人が現に必要とする月々の経費は、申請人自身の生活費、研究費等で約三乃至四〇、〇〇〇円程度、申請人の子の学資等として二〇、〇〇〇円程度であることの各事実が疏明せられるから、申請人が被申請人から前記五七、五二〇円の給与全額(但し、被申請人の主張によれば右給与に対する共済組合掛金は三、六五八円、所得税は三、六六〇円であり、その分は申請人において費消し得ない筈である。)の支払をうけたとしても、それは申請人等父子二人の通常の生活を支えるのに必要な程度に止どまり、他に余剰があるとはいい難く、申請人は前記仮処分判決のほかに、新たに現在の給与額についての支払をうけるべき本件仮処分を求める必要があると認められる。

なお、申請人が前記昭和三三年八月一一日の仮処分判決において、当時の申請人の給与月額金一七、五〇〇円の将来に亘る支払を求め、その旨の主文を得たことは申請人の自認するところであるが、その後現在までに物価の値上り等により、生計費その他の諸経費が著しくかさむようになつたことも公知の事実であるから、申請人が当時の給与額で右のような仮処分判決を得たとしても、その事実は現在新たに本件仮処分を求める必要性を否定するものではないし、又被申請人は、子の大学教育に要する費用の支出が親の子に対する扶養義務には含まれない旨主張するが、親にその意志と余裕がある場合、親が子の大学教育に要する費用を支出するのは、法律上の扶養義務とは別に、親子の間柄としてむしろ当然であり、本件仮処分の必要性を認定するに当つては、申請人のこれら家族の事情も一応考慮に入れなければならないと解する。

もつとも、右の諸事情を綜合すると、申請人が本件仮処分申請前に既に発生していた給与債権の一時払を求めている部分については、本案判決の確定をまつて、その支払を求めれば足り、今直ちにこれが支払いをうけなければならない程の切迫した必要性はないと考えられる。

三、よつて、申請人の本件仮処分申請中、給与月額金五七、五二〇円から既に仮処分判決を得ている金一七、五〇〇円を差引いた残額の、本件仮処分申請時であることが記録上明らかな昭和三八年三月一九日現在、及びそれ以降の支払を求める部分はその理由があるから、保証をたてさせないでこれを認容することにし、申請以前の過去の部分に関するその余の申請を却下し、申請費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条但書を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮崎福二 田中貞和 弘重一明)

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